日蓮聖人最期の旅路
宗祖池上御入山会

 9月18日(水)午前11時30分より本山大坊本行寺宗祖ご臨終の間において、池上本門寺菅野日彰貫首導師、大坊顕之字法類各聖出仕のもと宗祖池上御入山会が営まれました。総本山身延山久遠寺布教部長・豊田慈證上人、大坊本行寺・中野日演貫首、池上本門寺筆頭総代の池上幸保氏、池上山内寺院、法類寺院、檀信徒、水鳥記伝承会、立正佼成会など約八十名が参列しました。
 日蓮聖人は弘安五年(1282年)9月8日、常陸国(現在の茨城県北部)で湯治を行うため、約九年間お過ごしになられた身延山を旅立たれ、同月18日、武蔵国池上郷(現在の東京都大田区)池上宗仲公の館に到着されました。病で衰弱されていた日蓮聖人を気づかい、池上宗仲公ご夫妻は焼き豆腐の上にすり潰した黒胡麻をのせ、澄まし汁をかけた「ひきずり豆腐」でもてなし療養を助けました。日蓮聖人は池上公邸で療養につとめますが、病がいよいよ重くなられ、10月8日に本弟子の日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持を六老僧と定めて後を託し、10日にお形見分けをされました。さらに十一日に十四歳の経一丸(日像上人)に京都開教を遺命、枕元に大曼荼羅本尊を掛けさせました。そして13日辰の上刻(午前8時)、弟子信者一同が静かに法華経を読誦する中、六十一歳にてご入滅なされます。
 法要中にひきずり豆腐をお供えする「献膳の儀」が執り行われ、池上幸保氏によって御膳が運ばれました。日蓮聖人の法華経弘通にすべてを注がれたご生涯に思いを馳せると共に、池上宗仲公ご夫妻のご遺徳を偲ぶ厳かな法要となりました。法要後、菅野貫首様は参列者へ向けて「仏様の前で、日本第一の智者となしたまえと言えますか?」という問いから法話を始められ、日蓮聖人が鎌倉や京都へ遊学された際、迫害に遭われながらも仏道に邁進された御姿と、ご友人に進められて鑑賞された話題の映画「国宝」のように、主人公が虐げられながらも耐え忍んだ結果、最後は人間国宝となった物語を重ね、「生まれはそれぞれ別であるが、法華経御題目の前ではすべて平等である」と説き、「御題目の修行に励んでまいりましょう」と締めくくられました。

  宗祖最大の法難
龍口法難会

 9月12日(木)大堂において菅野日彰貫首導師のもと、宗祖龍口法難会が厳修されました。
 龍口法難は、日蓮聖人が佐渡流罪へと至る契機となった、きわめて重要な法難です。祈雨に敗れた律僧・忍性の訴えにより、鎌倉幕府は日蓮聖人たちを強く弾圧し、聖人は無実の罪で斬首を宣告されました。しかし片瀬龍ノ口の処刑場において、寸前で奇跡的に難を免れます。その後、現在の厚木市にあたる本間六郎左衛門重連の館に留め置かれ、ついには佐渡へと流罪となりました。
 日蓮聖人はその途上、「道の間の事、心も及ぶことなく、また筆にも及ばず。ただ暗に推し量るべし」(寺泊御書)と、その筆舌に尽くしがたい艱難を示されています。しかし同時に、佐渡流罪にあって『開目抄』『観心本尊抄』を著され、さらに大曼荼羅御本尊を図顕されました。
 このたびの大堂での法要には信行会も参列し、聖人が死を覚悟して臨まれた龍口法難、そして佐渡流罪を通して、あらためて法華経信仰を深める機縁となりました。

  日蓮聖人の足跡を辿る
学僧霊蹟行脚

 池上本門寺の学僧は年に一度、日蓮聖人ゆかりの四つの霊蹟(南房総・鎌倉・伊豆伊東・身延)を順番に参拝しており、本年は9月17日(水)に身延を行脚しました。
 大堂の日蓮聖人に法味を捧げ、バスで池上を出発した学僧七名(引率:山口顯辰学監・学生指導部)は、はじめに法喜山上澤寺を参拝し、住職の上田本幸上人より七年前の台風で大きな被害を受け新たに再生した国指定天然記念物「さかさ銀杏」(葉の上に種子を生ずる珍しいオハツキイチョウ)の姿を間近で観させていただきました。上澤寺は日蓮聖人との法論に敗れた法喜阿闍梨が毒餅で殺害を企てるものの、白犬が身代わりとなり命を護った逸話の舞台となったお寺で、犬を弔うため日蓮聖人が墓標として立てられた銀杏の杖が根を張り「さかさ銀杏」になったと伝えられています。
 その後、日蓮聖人が「下山御消息」を宛てた地頭・下山兵庫五郎光基の館で、日蓮聖人が病気療養のために常陸の国へ湯治に向かわれる際、身延を出発されてから最初に一泊された地に建立された長栄山本国寺。日蓮聖人が身延ご入山の折、この地を治めていた波木井實長公が館に招き、お休み頂いた場所である波木井山圓實寺を参拝し、御開帳を受け味噌汁のご供養を頂きました。続いて、徳川家康公の側室で法華経の篤信者であった養珠院お万の方の深い帰依を受けた心性院日遠聖人(身延山久遠寺第二十二世・池上本門寺第十六世)が建立された大野山本遠寺を参拝しました。道中、ご信者の方々よりお布施やご供養の茶菓をいただき御題目にてお見送りいただきました。
 また各寺院で温かいご供養を頂いた学僧たちは身延の町を行脚し、身延山久遠寺正面にそびえる二百八十七段の石段「菩提梯」を登り、祖師堂にて御開帳を受けました。最後に西谷の御廟所、御草庵跡に参拝して日蓮聖人へ報恩の誠を捧げました。日蓮聖人が晩年の九ヶ年を過ごされた身延を巡る行脚は、学僧たちにとってより日蓮聖人を身近に感じられる貴重な時間となりました。

  第二祖日朗聖人御報恩
七面山へ登詣

 永仁五年(1297)年9月19日、本門寺第二祖・日朗聖人と日蓮聖人の信者・南部実長公は七面山へ登頂し、七面大明神を勧請したことから、日朗聖人を敬慎院開祖と仰ぎ、毎年18日に大祭法要、19日に開闢法要が営まれています。
 本年も伊澤文彦参拝部執事引率のもと16名が日朗聖人御報恩のため七面山へ登詣。大祭法要では菅野日彰貫首ご名代として伊澤執事が小松祐嗣別当へ目録を手渡し、日朗聖人へのご報恩を捧げました。翌朝、午前4時より開闢(かいびゃく)法要に参列し、その後、お題目を唱えながら無事の下山を果たしました。

  ご苦労様でした
9月の団体参拝

  • 2日 日蓮宗女性教師の会 20名
  • 3日 山口県 山口県教誨師会 9名
  • 4日 長崎県 實相寺・護国寺 60名
  • 11日 日蓮宗宗務院国際課東南アジア信徒団 18名
  • 19日 愛媛県 立正佼成会宇和島教会 20名 / 大田区 貝塚中学校職場体験 8名
  • 27日 栃木県 上田寺 41名
  • 29日 求道同願会全国大会 31名