第69回池上本門寺復歴十六世
長遠院日樹聖人墓所参拝
5月19日(月)、菅野日彰貫首が池上本門寺復歴第十六世長遠院日樹聖人の墓所を参拝し、墓所を守る飯田市長源寺住職の早川日章上人、長野県宗務所長で下伊那郡感應寺住職の永田完道上人、飯田市羽場地区の住民有志でつくる池上史蹟保存会の会員と共に回向を捧げました。その後、日樹聖人の遺灰を奉安する灰塚を参拝しました。
長遠院日樹聖人は元和五年(1619)に池上本門寺第十六世に晋山しますが、幕府による弾圧を受け、第十六世を除歴、信州伊那へ流罪となります。昭和六年に池上第七十四世酒井日慎貫首の代で復歴しました。
昨年は池上史蹟保存会のご尽力により、老朽化で崩れた石造りの五重塔の再建を果たしています。保存会会長は「保存会も高齢化が進んでいるがこれからも引き続き護持に努めたい」と語っていました。また、五年後に日樹聖人四〇〇遠忌を迎えるにあたり、菅野貫首と保存会の面々で意見交換が行われました。最後に四条金吾賴基公史跡に参拝し、日樹聖人墓所参拝を円成することができました。



宗祖四大法難会
伊豆法難会
5月12日(月)午前11時より大堂において日蓮聖人伊豆法難会が菅野日彰貫首導師のもと営まれ、信行会会員をはじめとする約二十名が参列しました。法要中、菅野貫首は讃嘆文を拝読し、日蓮聖人が鎌倉にて不当に捕縛され、伊豆に連行されたご苦労を偲ばれました。
満潮時に海中に没する俎岩(まないたいわ)に取り残された日蓮聖人の命を救い、献身的な供養された船守弥三郎夫妻をはじめ、病気平癒の祈りが叶い、海中出現の佛様を供養された地頭伊東八郎左衛門や、流罪を命じた幕府の役人たちにも自身が法華経の行者であると自覚を深めるきっかけをくれた存在であると四恩(父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩)を説かれました。配流された困難な状況においても、起こった事実をありのまま受け止め、恩を報ずる大聖人の御遺徳をあらためて拝する法要となりました。

当山第八十二世
恵光院日慈聖人第七回忌法要
去る令和元年5月28日、世寿百一にて御遷化された、当山第八十二世恵光院日慈聖人・酒井日慈聖人の第七回忌法要が5月28日(水)本門寺本殿にて営まれました。『山主様』の愛称で親しまれた恵光院日慈聖人は、第五十一代日蓮宗管長、池上本門寺第八十二世、真間山弘法寺第八十世、池上實相寺第二十九世を歴任されました。中でも当山第八十世金子日威貫首・第八十一世田中日淳貫首と共に戦後の本門寺復興に尽力され、現在の本門寺布教伝道の根幹を築かれました。
前日の27日(火)午後3時からお逮夜法要が営まれ、菅野日彰貫首導師のもと遺弟・池上山内寺院・本門寺内局・山務員が参列しました。当日は酒井山主様ご在世の時に本門寺で学僧修行に励んでいた役課が式衆をつとめるなど、報恩感謝を体現した法要となりました。
28日の午前11時から七回忌法要が営まれ、菅野貫首導師のもと参与本山大坊本行寺・中野日演貫首、真間山弘法寺・鈴木日晋貫首、清水海長寺・中條日有貫首、比企谷妙本寺・鈴木日敬貫首、片瀬龍口寺・鈴木日沾貫首にご臨席賜り、法類委員・遺弟・遺族・池上山内寺院、本門寺総代が参列しました。法要後、木内隆志執事長導師のもと本門寺歴代廟に参拝し、前日からの曇り空から青空が顔をのぞかせた歴代廟の墓前に於いて、日慈聖人との思い出を胸にご回向を捧げました。
法要後、菅野貫首は挨拶の中で、朗子会館建立と布教部の設置、朗子クラブや池上スポーツクラブ、各種講座など本門寺の布教の礎を構築されたのは酒井山主様であると当時の思い出と共に、日慈聖人へ感謝を述べました。


ご苦労様でした
5月の団体参拝
- 11日 日蓮宗スカウト連絡協議会 40名
- 16日 青森県 光明寺 11名
- 19日 東京都 神力寺 16名
- 20日 長崎県 常在寺 33名
- 22日 大分県 神力寺 10名
- 26日 山形県 寿遠寺 18名