―祈るこころー『千部会(せんぶえ)』

 池上本門寺では、日蓮聖人が立教開宗(宗派を開くこと)された四月二十八日(建長五年四月二十八日)の前後三日間(例年四月二十七日から二十九日迄の三日間)に亘り『千部会』(せんぶえ)が催されます。
 はて?『千部会』とは、何たるものか?の声が聞こえて来そうですが・・・・。
 日本人は、どうも言葉を略するのが得意な人種の様です。パソコン、スマホにメアドまで数えればキリがありません。  『千部会』は、『法華経千部讀誦会(ほけきょうせんぶどくじゅえ)』の略で、「法華経(序品第一~普賢菩薩勧発品第二十八迄)を千回読誦する大法要」の意味です。
 歴史を振り返りますと、この法華経千部は
天平二〇年(七四八年)七月、聖武天皇が先帝であった元正(げんしょう)天皇の崩御に際し、法華経千部を書写して供養されたことに始まります。(『続日本紀』)
以来、平安・鎌倉と時代を経て次第に広まって行きました。
 日蓮宗で『千部読誦会』が営まれた記録が見えるのは、日蓮聖人第百五十遠忌に当たる永享三年(一四三一年)十月四日から十三日までの十日間、京都本圀寺にて行われたという記録が残されています。そしてこの後、江戸時代に入りますと、本圀寺は勿論、身延山久遠寺、中山法華経寺、鎌倉妙本寺そして、池上本門寺と日蓮宗を代表する寺院にて営まれる様になります。
 やがて、池上本門寺では江戸時代の中頃(明和年間)には年中行事として定着し、江戸市中の各町内に「千部講中(せんぶこうちゅう)」と名付けられた講中が作られ、それらの各講中が施主となって、盛大な法要が営まれる様になりました。
 そして、この法要を成就したあかつきには、「法華経讀誦一千部」と記した石碑を建て、行われた年月日、回向・祈願の内容、施主・願主名を刻んだのです。当時のご信徒の方々の祈る思いが伝わって来ます。それは間違いなく、私たちが現在(いま)、平安を祈る気持ちと何ら変わることはないのです。
 日蓮聖人は、「法華経の行者の祈りの叶わざるものか。」(『祈祷鈔』)と「法華経・御題目を通した祈り」の大切さを示されました。その事こそ『法華経千部讀誦会』に見る「祈るこころ」なのです。

合掌

伊藤海祐