| 宝塔(日蓮聖人御荼毘所) |
この地は、当山の重要な浄域の一つで、日蓮聖人御入滅の折の御荼毘所である。『新編武蔵風土記稿』などによると、かつては2間に3間の御灰堂があって、当初、開基檀越の池上宗仲公が宝塔を作り、聖人の御余灰を中に盛って奉安したと伝える。現在は、北側に第33世日謙聖人が天明元年(1781)に造立した石碑の宗祖第五百遠忌報恩塔が建つ。その霊場に建てられた木造の大宝塔は、棟札(現存せず)抄により、第47世日教聖人代の文政11年(1828)、宗祖五百五十遠忌を目前に、前犬山城主成瀬侯・家老浅野蔀を大本願人とし、飯田町福田長次郎を世話人として再建されたことがわかる。大工棟梁(工匠)は小木新七藤原信盛ほかである。ちなみに日教聖人は、諸堂宇を精力的に再建した功により「金づち教師」とよばれる。 その後、嘉永4年(1851)に修理された。なお、同6年(1853)に五重塔を修理した棟梁も小木新七藤原信久で、昭和7年に経蔵を修理した棟梁も小木新七薫雄である。当山御用達の大工として、代々、小木新七を名乗ったことがわかる。 石造基壇は、高い方形基壇および蓮華形台座からなる。軸部は平面円形で、やや伏鉢状をなし、側柱8本を円形に配し、内部の上に、12本の側柱および8本の柱を円形に配して、上層をなしている。附の宝塔は、四天柱の内に安置され、10体の亀を配した迦葉座以外は、ほぼ大宝塔に類似している。 この大宝塔は、富山県本法寺所蔵の重文・法華曼荼羅図に見える多宝仏塔に近似しており、年代は江戸後期と新しいが、境内に建立された大型の宝塔として、全国的にも類例の少ない、極めて貴重な遺構である。 |
| 『池上本門寺史管見』『池上本門寺宝塔修理工事報告書』参照 |
| データ |
| 東京都文化財 附・堂内木造宝塔 江戸時代・文政11年(1828)建立 木造 総高17・5メートル 基壇と蓮華座は石造 〔備考〕明治29年の『長栄山池上本門寺誌』に「天保元年(1830)茅場町永岡恭重再建」とあるが、典拠未詳である。 |
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